ブログの記事は感情で書けばいい

ブログを書くときには論理的に分かりやすく説明するように書きなさいと、そう主張するブロガーも数多くいる。

見出しはこういう風につけろ、結論から書け、と具体的なノウハウをいくつも示しながら論理的な文章について語っている。

めんどくさいことこの上ない。

 

商品の説明書だとか、営業トークを組み立てるためだったらこれらの方法は悪くないだろうけど、あくまで自分が書いているのはブログであって説明書ではない。

そんな指示を何も疑わずに信じてしまえば、ガッチガチに固められた個性も何もあったもんじゃないようなブログが出来上がってしまう。

 

大量消費の時代においては、規格がきっちりと決まった工業的なものというのは大量に溢れているがゆえに価値が低いから安い。

いくらでも簡単に作り出せるものに価値がないのは避けようのない宿命なんだ。

たとえ本物のダイヤそっくりでも人工的に作り出せるジルコニアは安い。

見た目がそっくりだとしても簡単に作れてしまう以上に数が多いというだけで価値がない。

 

自分のブログを同じように規格に沿ってガチガチに作り上げて大量生産品にしてしまえば、それだけで価値は暴落して自分にとっての資産になんかなりはしない。

価値が高いものは希少であるからこそ価値が高いのであって、その希少性を手に入れるためには人の真似をしているようでは真似たものを越えることなんて出来ない。

 

だけど自分独自の路線を突き進むのはそれなりに覚悟がいることだ。

独創性を求めれば万人に理解されるようなものではなくなってしまい、批判されることや見向きもされないようなことだってある。

それでも構わずブログを続けるためには、自分自身が満足したり納得していないとなかなかうまくいかないだろう。

 

自分を満たすような記事を書いていくためには、自分の感情と向き合うことが必要だ。

日々生活する中で感じた喜怒哀楽は誰のものでもなく、間違いなくきみ自身の中に発生した感情なんだ。

怒りを感じるような出来事や喜ばしい出来事、悲しいことがあったり楽しいことがある中で、その感情をきみがどのように捉えたのかを表現すればいい。

 

そんなものは体験した本人でしか理解できないようなことなんだけれども、言語化して記事にしてみることで、なんとなく分かる人だって出てくるものだ。

いくら言葉をうまく操れたところで伝わらない人には伝わらないという割り切りが出来てしまえば、無理して伝えようと肩の力を入れすぎることだってなくなる。

 

ナチュラルに自分を表現した文章がかけるようになれば、オリジナリティがあって大量生産に巻き込まれないようなものを書けるようになるんだ。

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